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2008-06-15何故私が品質という言葉についてこだわるのか

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酔った勢いTwitterでボヤいてるうちに筆が滑ってる。ちょっとだけ編集して載せておく。




結局全ては、"品質の低下"を知りつつ、それを容認している事が問題なんだと思った。

ここでいう"品質の低下"とは、誰も来ない深夜のコンビニに例えられる。『24時間営業』というフレームが先にあるから、そこに居るスタッフを確保しないといけない。儲からないから時給が安い。安い時給でもいいから欲しいひとがスタッフになる。安いから責任感が湧かない。品質下がる。

本末転倒な話。

今の社会は、消費の欲望を煽り過ぎだ。


コンテンツ産業も同じループにハマっている気がする。

その界隈に関わっている(気がする)私にとって、コンテンツ品質という問題はここ最近の大きな懸案事項になっている。


提供できるサービスコンテンツのリミットは常にある。

{(1人ができる最大仕事量)+(道具や方法などの力)}×(従事する人の絶対数

しかし、"欲望の火"を消さないために、どんどんと目くらましのように新しい何かを提供し続けないといけないフレームに縛られている。(中略)→品質が下がる。

当然のなりゆき


なるべく省エネをしつつ、たくさん作るために、『ちょっとづつ見た目を入れ替えて消費させ続ける』というビジネスモデルがあったが、もう破綻寸前だ(もしくはすでに破綻している)。

品質コンテンツサービスの過剰提供をだれがイケイケドンドンと押し進めているんだろうか。わたしには皆目検討がつかない。



コンビニのたとえに戻って、私の考えている事を言えば、『深夜の客入りがほぼないのであれば、閉めてしまえば良い。』ということだ。

いくら24時間オープンと銘打っていようと閉めれば良い。

大義名分や対面、メンツによって失っている人的/文化的/金銭的価値がどれくらいあるかと想像すると冷汗が出る。

適度に負けよ。負けを許容/受容できない文化は息苦しい。見苦しくもある。

これはまぁ、理想論として…。



何故私が品質という言葉についてこだわるのかと言えば、もっと目先の事象について具体的にひとつ恐れている事があるからなのだ。


品質の高いものを見た事が無ければ、高い品質のものを選ぶ事もできないし、作る事もできない。

例えば現在テレビインターネットなどで見る事の出来る映像コンテンツ(特に無料のもの)の品質というのは、ピンからキリまであると思う。

もちろんそれは当然なのだけれども、それを越えて『本当に高い品質もの』は存在していない気がする。

そういう意味で言えば、お金をかけず簡単にコンテンツアクセスできる今、『本当に高い品質もの』に触れる機会が激減するということだ。


それにまつわる事象として、『職人』と言う言葉の使われ方がチープになっている事を私は危惧する。本当の職人は、そんな所にはいない。

職人とは、それに対して金銭(もしくは対価物)を得るという状況ではじめて職人足りうる。

もうけられるのが職人だ、という意味ではなく、金銭をうけとることによって責任をひきうけているという事が大事なのだ。

作ったものとお金を払ってくれた相手に対して責任をひきうけないかぎり、品質のある一線を越えられない。


たとえば、うたってみたり、おどってみたりする。歌詞をタイミングよく表示させる。

それは行為としてなんら悪くないし否定しないけれど、その行為は職人としての行為じゃない。消費の行為の一形態なのだ。



品質低下のバッド・スパイラル

これは大問題だ。

今、この過剰提供されている中程度の品質コンテンツを浴びる様に消費しつくした世代が、『作る人』側にまわる日はそんなに遠くない。

その時に、品質はもう一段階下がるだろう。品質の高いものを見た事が無ければ、高い品質のものを選ぶ事もできないし、作る事もできないからだ。

そして、一度劣化した品質はもとに戻る事が難しい。圧縮したjpgデータは元に戻らないのと同じ様に…。

これは悲劇だ。

最近アニメの作画にうるさい人がたくさんいるのは、無意識化でこういう事態を危惧しているからなんだろう。




お願いだから、ちょっとでも品質の善し悪しが分かる人はイケイケドンドンを止めて欲しい。

思慮のないチープな模倣技法で、劣化したコンテンツを過剰提供するビジネスモデルを止めて欲しい。

私ひとりが深夜グチグチ思ってたって動きようのない問題を書き出してしまうことを許して欲しい。



本当にものの善し悪しが分かる人が地下に潜って秘密サロンを作るのは、大きな目で見ると文化にとっては損失だ。

どうか地下に潜らないで、「これは良い」「これは悪い」と公の場で発言し、批評してほしい。

本当にものの善し悪しが分かるというのは一種の職能であるし、それに対して対価が発生するべきだ。

でも、良いものがないかぎり、その職能はいかされることがない。これも品質低下のバッド・スパイラルから生じる問題なのだ。

だから地下に潜っては行けない。二度と地上に出られなくなる。


圧倒的に良いもの、品質の高いもの、美しいものは、誰がどう見たって、良くって品質高くって美しく感じる事が出来るはずなのだ。

私はそれを信じている。

おねがいだから、この世界に、陽の光を浴びた圧倒的に良いもの・品質の高いもの・美しいものが到来するようになってほしい。

わたしは、そのためにならば、祈りたいと思う。心から。



2007-01-11レシピ本は、手順と同時に動機なのだ。

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テーマレシピ本は、手順と同時に動機なのだ。

 

料理レシピ本には、「そこに書いてある材料を揃えて、その手順通りに手を加えていけば、タイトル写真のようなものが作れる」という目的がある。それは言わば、"可視化された「手順」"だ。

しかし、その通りの材料を揃えられなくても、人はレシピからその手順のエッセンスを抽出して、写真タイトルとは違うけれども美味しい料理を作る事が出来る。これは"可視化されない「手順」"を人がイメージしたということだ。

またさらに、冷蔵庫たまたまあった材料を寄せ集めて、何かおいしい料理を作りたいときに、レシピの集まった本を眺める事で、良い調理法を思いつく事がある。

この時、レシピは「手順」ではなく、食材食材食材と調理法の結びつきの「動機」となる。

 

人のイマジネーションは、レシピから決められた手順をなぞって調理するだけではなく、ブリコラージュでおいしい料理を生み出すことができる。

レシピ自体には味はないけれど、実は二度も三度も、もしかしたらずっと美味しいものなのだ。

 

 

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最近職替えを計画しているので、私のお財布の紐が固めになってきました。

これまでは「入ればそのまま使う」という浪費家気質で、その日その日をお気楽に暮らしていましたが、そうも言っていられないフリー稼業になるのです。そんな中、まず見直しの対称になるのは、『食費』です。

しかし、美味しいものに目がない私は、食に関しては“すぱっ”と大金を出してしまいます。

””美味しいものはいっぱい食べたいし、無理に切り詰めて、ひもじい思いもしたくない。だけど、お金はかけられなーい!””

どうしたらこの浪費癖を乗り越え、無駄な食費を切り詰められるのか。これは結構シビアな問題であります。

 

食費削減計画の第一は、まずコンビニエンスストアで「なんとなく食べ物を買ってしまう」のを止める、ということでしょう。そして次に、外食を控え、家で自炊するということ。

都市での一人暮らしというのは、総じて外食に頼りがちになるものですが、ここは一発奮起、できるだけ毎日自炊をするというのが最大にして最善の方法でしょう。

しかし、仕事で疲れて夜遅くに家に帰って来て、またさらに台所に立ち調理をするというのは、なかなかどうして、できないものなのです。この重い腰、どうすれば持ち上げられるのでしょうか。

 

 

私なりに考えた解決方法、、、それは、「まず数冊のレシピ本に投資する」というものです。

コンビニエンスストアでの無駄遣いを止めて浮いたお金を、自分の気に入ったレシピ本に投入するのです。

コンビニで買ったお菓子や飲み物は食べたら消えてなくなってしまいますが、レシピ本は一度手に入れてしまえば、ずっと残るものです。

 

レシピ本の選び方のポイントとしては、まず、量のたくさん載った、節約料理や基礎知識のレシピ「ではなく」、なるべくきちんとした食材や旬のものを扱って手間をかけて調理するものを選ぶ事。また、電子レンジだけで出来る!や電子ジャーでできちゃう!などという簡単もしくは省エネ調理法をうたったもの「ではなく」、焼いたり煮炊きしたりして手間をかけているものを選ぶ事です。

 

 

ー 何故重い腰を上げるのに、わざわざお金や手間のかかるような調理法の載ったレシピを買うのか?

それには、れっきとした理由があるのです。

料理というのは、レシピに書いてある材料と同じものを揃えて、その手順通りに手を加えていけば、写真通り美味しそうにできる、というだけのものではありません。「冷蔵庫に入っていた食材で、ちゃちゃっと適当に作っちゃった」という料理でも、調理する人によっては、抜群においしい料理ができるものです。

その「ちゃちゃっとおいしく作れる人」になることができれば、自炊の面倒な気分は随分晴れますよね。

しかし、それには"料理想像力"が必要だということに思い至ったのです。

 

"料理想像力"とは、食材食材食材と調理法を組み合わせるセンスに宿ります。

小説家に例えて言うなら、どんな登場人物をどんなシチュエーションで出会わせるのか、そしてそのストーリーはどんなジャンルなのかを洗濯するセンスによって、その物語が面白くなるかつまらなくなるかが決まるということに似ています。

 

レシピ本を眺めていると、まずは、焼く 煮る などの基本の「料理の文法」が見えてきます。

基本の文法以外にも、擂りおろしたり漬けたりと、様々な調理法があることを知る事が出来ます。

そうしているうちに、この季節にはこの食材が美味しいなどという「料理の単語」や、これとこの食材はよく組み合わせて使われるという「料理の連語」、そして、この食材にはこの調味料が合う、という「料理接続詞」なども見えてきます。これら「料理の文法セット」が分かってきたら、もうこっちのもの!と言っても過言ではありません。

 

物語には長編小説短編エッセイ風など、様々な長さやテイストのものがあります。

短い文章でも、上下巻にわかれた長編小説より印象的な話はありますし、長い間時間をかけて積み重ねられた世界観に圧倒される話もあるでしょう。

しかし、どんなセンスであっても、どんな長さであっても、面白い物語を書くための基本的な約束やノウハウはあります。それは、もともと小説家の身に付いているものではなく、いろんな本を読んだ経験から見つけていくものです。

 

料理も同じく、どれだけ手間のかかった凝った調理法でも、ちゃっちゃと作られたものでも、基本的な約束やノウハウをおさえていないと、本当に美味しい料理は出来ないのです。

今いる登場人物で、いかに面白い話をかくことができるのか。それは、レシピという手順通りのものではなく、食材食材食材と調理法を組み合わせる経験とセンスをいかに磨くかということなのです。

 

節約料理レシピというのは、すでにそのレシピを作った人の想像力と経験が、大胆にプロセス登場人物カットして、美味しい短編小説に仕上げてしまっているのです。それを見ているだけでは、「冷蔵庫の余り物でちゃっちゃ」と調理できる人にはなれません。カット出来る人になるためには、何をカットすれば良いのかを知らなければならないからです。しかし、一度こつがわかってしまえば、あとは自分の買える値段の食材を旬に合わせて買ってきて、冷蔵庫にぽいっと入れてしまうだけで良いのです。

  

そう、私たちはいきなり星新一にはなれないのです。まずはドストエフスキィを眺める(読まなくてもいい)ところからはじめてみましょうよ。

そしていずれ、自分だけのおいしい簡単レシピができるのです。

それはとっても楽しい事ではありませんか。